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コイツがあれば怖いもんなし!?

どうもです。中野経済新聞編集長の杉山です。前々回の投稿前回の投稿の続編です。今回は取材時の必需品についてのお話し。

他紙より大きな名刺のロゴ

 

認知度が全くなかった中野経済新聞。「とにかく名前を売らねば…」と、他の経済新聞よりも大きなロゴで名刺を作った。中野で配るので、これはあんまり意味はなかった(笑)。他の編集長に意気込みだけは伝わったかな?

西さん、ロゴをこっそりデカくしてすみません。。。

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最初のうちは中野区内の色んなお店に飛び込んで、この名刺を配りまくった。そして区内の有名企業にも色々電話しまくったんです。「中野経済新聞と申しますが、これから何か面白情報やイベント情報など、記事ネタがございましたらご連絡頂けますか?」ってね。

「あっ、みんなの経済新聞というネット新聞のグループで…」

「シブヤ経済新聞をはじめ、海外含めて80以上の○○経済新聞というのがあるんです。そして私は中野区を担当しております…」

「えっと、食べログとかじゃなくて、新聞…」

「新聞です。取材です。掲載費?記事ですのでかかりません…」

「みん経」初の腕章

 

あ”ぁぁぁぁぁぁ~ 説明めんどい。新聞記者と言えば腕章。○○新聞って書いてあれば、取材してくれるのかな?って思ってもらえるし、新聞なので無料で記事になるかもって一発でわかるよな…」と思い立ったらすぐ東急ハンズへGoGoGo!

で、ありましたよ、ハンズに腕章。前職時代にハンズのバーチャルECモールのリニューアルコンペで負けたことを思い出しながら、ロゴを印刷した紙を差し込むヤツを3つ購入。自宅のプリンターで名刺のロゴを腕章サイズに印刷し、それを切って差し込んで、完成したのがコレ

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「腕章サイコー!」 「腕章最強!!!」 

これを着けた状態でお店に入って説明すれば、今までとは逆に「取材してくれるんですか?」「記事になるんですか?」の声が返ってくるくる。

「すっごいなぁ、腕章のチカラって。ってゆうか新聞ってマジスゲェ」

この写真の腕章、実は3代目でアトが無いので、ヒモの結び目が何度もちぎれていたり、セロハンテープで補修して使ってます。そしてどんな服装の時でも、平日でも土日でも、中野区内にいる限りどんな場所でも、腰からぶら下げているんです、この腕章を。上から座ってしまって折れちゃっても、グチャっとなっても。そしたら、いつでも取材できるし、通行人が見てプロモーションにもなるでしょ?

ぶら下がっている腕章を見て、「これ毎日見てるわ~」というオネエの方に声をかけられたり、「おたくの編集長、よくテレビで見るわよ~」というオバチャンに肩を叩かれたり。

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「ん?JCN中野に出てるのはボクですけど…」

と思いながら、「編集長に伝えておきます!」と言ってその場を立ち去る。。。テレビの時はちゃんとした服装で出てるから、別人だと思ったんですね、きっと(笑)。腕章さえあればどんな格好でも取材できちゃうので、ジーンズだったりキャップを被っていたりと服装は色々です。

ちなみに「みん経」の中で腕章をつけて活動するのは「ナカ経」が初だったようで、「みん経キャンプ」という全国の編集長などが集まる会議でこの腕章が紹介されました!

スーツでもジーンズの時も腰からぶら下がっている腕章。この腕章をぶら下げて歩いてるのは間違いなくボクです。。。

撮影はもっぱら・・・

 

ナカ経の写真、実は7割がiPhoneで撮影したものなんです。一眼レフカメラを使うときはイベントなどで望遠が必要になったときだけ。カメラは重くて、そして大事に扱わなければならないのでほとんど持ち歩いてません。妻のカメラだし、ボク自身はカメラ持ってませ(笑)

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被写体が食材でも人でも風景でもお構いなし。iPhoneで何枚も撮影していちばん写りの良いモノを選択し、Dropboxなどのクラウド上に写真画像を送って、PCで加工して掲載してます。さすがに囲み取材などの場合、iPhoneってわけにはいかないので妻のカメラを被写体に向けさせて頂きますが、必ずiPhoneでも撮影しておきます。そしたら載せる載せないは後で考えるとしても、記事前にfacebookなどで掲載することもできるのでそうしておきます。

だいたいの被写体の方はiPhoneでも問題無くポーズをとってくれます、不意打ちさえしなければ。。。

一度不意打ちして大変なお叱りを受けたことがあります、テレビでも活躍する落語会の大御所の方に(元アフロの・・・)。お会いするのが初めてで舞い上がり、楽屋入りする前を「パシャリ」。すると「ちゃんと撮りーな。そんなんあかんやん」と言われ、後でマネージャさんにこっ酷く叱られ、寄席本番の写真の掲載もNGとなってしまいました。ごもっともです。反省してます。。。

ちなみにこのiPhone、良く落とすので何度も割れていますし、今も写真の裏面はバキバキ、通話もできません。というか相手の会話が聞こえるスピーカ部分が壊れていて、周囲に全て漏れてしまうので、それでも良いという方のみiPhoneへおかけ下さい(笑)。

冬は特に曇った写真となってしまうので、いつもレンズだけは磨いているiPhone、取材には腕章と同じくらい大事な必須アイテムです。

取材三種の神器の最後は・・・

 

この手帳ですね、ポケットサイズの。なんと3冊で100円です~

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ICレコーダーもありますが、ほとんど使ってない。ICレコーダーで全部録音すると、全部書きおこしたくなるし、書きおこしてから情報を削ぎつつ記事化するのは大変な作業で面倒なんです。なので、手帳に重要なコメントや大事なスペックだけを書き、なるべく頭で覚えるようにしています。録音してたら細部まで聞き直しができるけど、なければ諦めがつくしね。。。

ということで、いつも名刺、腕章、iPhone、ミニ手帳を持って、相棒チャリとともに中野区内をウロウロしてます!

天国地獄の話しまでなかなか到達しませんが、続きはまた今度。

取材の相棒誕生秘話

どうもです。中野経済新聞編集長の杉山です。前回の投稿の最後「そして編集長としての天国地獄の生活が始まった。。。」の続編です。

自宅は西新宿と言ってた時代

 

中野区に10年以上も住んでいるのに、ほぼ寝るだけだった。自宅は東中野にあるのに「どこに住んでるの?」と聞かれたらいつも「西新宿!」と言ってたなぁ。実際歩いて2分もすれば新宿区だったし。新宿との区境のサクラを見るくらいだったかも。

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編集長を始めなければきっと「中野愛」は芽生えてなかったよ。

狭いの?広いの?

 

記事を書き溜めるために、色んな道を歩いた中野。「中野を知る」ことを兼ねたジョギングで、新宿との区界にある神田川から桃園川の遊歩道(桃園川緑道というらしい)に入り、ひたすら杉並区方面へ突き進む。途中遊歩道が渡れないところがあったけど、そのまま遊歩道をまっすぐ行くと、小さい鉄のアーチと共に道の作りがガラッと変わってすかさずスマホ地図で場所を確認、杉並区だ。思わずfacebookで「中野区を横断したぞ~」と投稿し、汗を拭きながらスポーツドリンクを飲んで座っていたら、ある中野区議からコメントが。

「そこ2キロくらいだよ…」

「ええぇぇ、そーなの?狭っ!あんなに走ったのに、気のせいだったのか…」

わかったよ。中野区の南側は細長いんだね。だったらダイエットついでに今度は北上してみよう!ってことで、ある日、神田川沿いを北へ北へ。小瀧橋を過ぎ、西武新宿線下落合駅近くで、明らかに東にカーブし始めたので、またスマホ地図で確認してみたら、すでに新宿区。軌道修正して新目白通りを走り(ほぼ歩いてたけど)、新青梅街道に入るとなんだか広い公園が出てきたんだ。哲学堂弓道場って書いてある。。。

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知ってます、哲学堂。コータローの友達「○○ちゃん」ちの近くの。こないだ仲良し4人組で一緒に遊んだところだ。その頃の哲学堂の知識、そんなもんだった。。。

そしてひたすら新青梅街道を西へ。たしか鷺宮が中野区の端っこだったよなと、目的地を安易に鷺宮にセット。行ったことのない鷺宮、陸橋らしき大きな通りが見えてきた。「鷺宮か?」いいえ、野方駅近くの環七(丸山陸橋)だった。

はい、なめてました。中野区って結構広いじゃん!

心が折れ、その場所近くのバス停から中野行きのバスに乗り、中野駅からは電車で帰ったボク。取材で東中野から中野区全部を歩いて回るのは無理だわ、ってその時思ったんだ。そしてその日はパソコンで中野区全域の地図と何時間もにらめっこ。中野区のこと、あまりにも知らなさすぎた。。。

そして相棒誕生!

 

地図を見ると何だか縦長な中野区。電車は東西に何本か(3本?4本?5本?)と区境を通っている地下鉄大江戸線。横移動は電車縦移動はバスが便利だけど、縦横無尽となると。。。

ってことで、移動手段はもっぱらチャリに決定。子どもを送り迎えする役目を課せられた時に出動する電動ママチャリ以外に、ギヤのない激安折りたたみ自転車を購入。スーツ姿で乗ると違和感のあるママチャリちゃんと、クールで都会派だけど坂道ではボクと一緒に歩折りたたみ君がボクの相棒となった。

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2010年の7月1日に中野駅北口に完成した東西連絡路のくす玉割り記事から、毎日相棒と共に暑くても寒くても雨が降っても、中野区を縦横無尽に取材しながら3カ月分の記事を書き溜め、無事10月7日に創刊した「中野経済新聞」。この日からボクの生活は、情報収集と取材、記事作成に追われる日々になったんだ。

なんせ一人でやってるもので。。。

いよいよ毎日が取材の日々に突入!続きはまた今度。

杉山が中野経済新聞を始めたワケ

みなさんはじめまして。中野経済新聞編集長の杉山です。

中野経済新聞(通称:ナカ経)は、みんなの経済新聞ネットワーク(通称:みん経)に属する中野区のビジネス&カルチャーニュースを配信するインターネットの新聞で、2012年10月に創刊。みん経としては70番目

中野経済新聞facebookヘッダ

えっ!?70番目?いったいいくつあるの?ってゆうか「みん経」て何?って思いましたか?

「みん経」って何だ?

 

みん経は、まだ「ピーヒョロヒョロロ~」とモデムが動いている時代の2000年4月にシブヤ経済新聞が全国に先駆けてインターネット新聞を発刊。ちょっとした情報サイトはあったものの、文章などちゃんとした新聞の体裁のウェブ専用新聞としては初らしい。

そして2014年1月現在、ニューヨークや香港などの海外6地域を含む85の地域に○○経済新聞ってのがあるんだな、これが。ナカ経は70番目なんで、まだまだひよっこ。

シブ経は憧れ。。。

 

現在東証1部上場の渋谷の老舗システム会社NSWに入社し、自社ハードウェアやパッケージソフトの企画、イスラエルの商品などを扱いながらマルチメディアを、そして当時の渋谷ビットバレーで活躍する若手経営者に刺激を受けながらネットビジネスを手掛けてきた。

その時から、渋谷で新しい店、遊べる場所などを探す時にはいつもシブ経を見てたんだ。シブ経はボクのバイブルであり憧れだった。

独立して世界に羽ばたくつもりだった…

 

社長になろう!と思って入ったNSW。入社式では総代、経営企画室に入社し、誰よりも早く営業部長、営業統括部長になったボクでしたが、色々なことがあって、ある時、結局自分はNSWの社長になれないと思っちゃったんだな。

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だったら会社作って社長になればいい!と39.9才のとき、2010年1月に独立し桔梗ICTパートナーズを設立。ITコンサルティング、Web制作、セールスエージェントを核として社長兼コンサルタントとしてスタートを切ったとき、運良く超大手の中国企業日本法人からITコンサルのオファーがきて、対中国ビジネスに夢中になった。中国語も覚えたし。

そしてグローバルビジネスのために会社を動かそうと上海にも会社を作った矢先、尖閣諸島問題で中国ビジネスがシュリンク。それでもいくつかのビジネスは進んでいて、日本の良いところを紹介する上海のサイトプロデュースで実績も出来てたし、日本国内のグローバルビジネス人脈も増えていった。

Let’s global business!! 世の中やっぱグローバルっしょ。

えっ、中野ですか?

 

そんなとき、当時中野新橋にある東京コンテンツインキュベーションセンター(TCIC)でインキュベーションマネージャだった今泉さんから連絡があって「一度、中野の面倒も見てみてよ!」と言われたんだ。そのTCICには楽しそうなITベンチャーがいっぱいいて、彼らの営業代行をお願いしたいと。そしてもうすぐ中野区の指導でIT関連団体(後のナカノプラプラ)ができるから、その説明会にも参加してみたら?と。その言葉を聞いたときに「面白いかも、中野も。グローバルとドローカル、どっちもできたらカッコイイかも…」なんてね。リアル店舗とネットスーパーどちらも活性化するコンサルや、渋谷音楽祭などの地域活性化事業にも関わってたし。

今思えば、その言葉を聞いたときのワクワク感がターニングポイントだった。中野は住む街であって仕事の街とは正直思ってなかったけど、見ちゃったんですね、中野を。始めちゃったんです、中野の杉山を。そしてこれからとんでもない貧乏生活が待っていることとも知らずに。。。

新しい中野が生まれつつある

 

中野にはIT業者やコンテンツ制作業者など700社もあり、このジャンルの活性化も推進する、JR中野駅北口に東西の橋をかける、中野警察大学校跡地を再開発するなど、これから中野が変わる。となると誰かがこのことをアーカイブしなければ!「あっ、オレやりたい…」ってすぐに思った。たくさんのウェブシステムやネットショップはプロデュースしたけど、自分が情報の発信者になることに飢えていたんだな、きっと。

四季の都市

「ナカ経」誕生の裏側には・・・

 

色々検討したけど、シブ経に憧れていたボクは結局「みん経」に相談。運良く中野には経済新聞がなかったんで、すぐに立ち上がると思った。あわよくば「中野杉並経済新聞にしちゃいたい」と思ったが受け入れてもらえなかった。それはなぜか。。。

実は中野区は新宿経済新聞、杉並区は吉祥寺経済新聞のエリアに含まれることが判明。さらに、両経済新聞は高円寺にある出版社が運営していて、杉並は即却下。しかも中野区を切り離したら両経済新聞運営企業が抑えていたオレンジライン中央線をブッタ切るってことだよね。。。

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中野区を新宿経済新聞から独立させられるかを「みん経」西代表に託し、独自の中野情報メディアを立ちあげることも視野に入れて準備を進めていたが、結局西代表が上手に交渉を行ってくれて、何とか中野区の独立は叶った。

「ナカノ経済新聞の誕生だ。そしてボクはメディアになる!」

ってことで、中野経済新聞の発刊が決まった。仮名で「ナカノ」としたかったが、みん経西代表に却下された。そして「ナカノプラプラ」でやるつもりだったがそれも西代表によって却下となり、結局自分の会社である桔梗ICTパートナーズで運営することに。そして編集長としての天国地獄の生活が始まった。。。

※次回、続きをお楽しみに!