杉山が中野経済新聞を始めたワケ

みなさんはじめまして。中野経済新聞編集長の杉山です。

中野経済新聞(通称:ナカ経)は、みんなの経済新聞ネットワーク(通称:みん経)に属する中野区のビジネス&カルチャーニュースを配信するインターネットの新聞で、2012年10月に創刊。みん経としては70番目

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えっ!?70番目?いったいいくつあるの?ってゆうか「みん経」て何?って思いましたか?

「みん経」って何だ?

 

みん経は、まだ「ピーヒョロヒョロロ~」とモデムが動いている時代の2000年4月にシブヤ経済新聞が全国に先駆けてインターネット新聞を発刊。ちょっとした情報サイトはあったものの、文章などちゃんとした新聞の体裁のウェブ専用新聞としては初らしい。

そして2014年1月現在、ニューヨークや香港などの海外6地域を含む85の地域に○○経済新聞ってのがあるんだな、これが。ナカ経は70番目なんで、まだまだひよっこ。

シブ経は憧れ。。。

 

現在東証1部上場の渋谷の老舗システム会社NSWに入社し、自社ハードウェアやパッケージソフトの企画、イスラエルの商品などを扱いながらマルチメディアを、そして当時の渋谷ビットバレーで活躍する若手経営者に刺激を受けながらネットビジネスを手掛けてきた。

その時から、渋谷で新しい店、遊べる場所などを探す時にはいつもシブ経を見てたんだ。シブ経はボクのバイブルであり憧れだった。

独立して世界に羽ばたくつもりだった…

 

社長になろう!と思って入ったNSW。入社式では総代、経営企画室に入社し、誰よりも早く営業部長、営業統括部長になったボクでしたが、色々なことがあって、ある時、結局自分はNSWの社長になれないと思っちゃったんだな。

無題

だったら会社作って社長になればいい!と39.9才のとき、2010年1月に独立し桔梗ICTパートナーズを設立。ITコンサルティング、Web制作、セールスエージェントを核として社長兼コンサルタントとしてスタートを切ったとき、運良く超大手の中国企業日本法人からITコンサルのオファーがきて、対中国ビジネスに夢中になった。中国語も覚えたし。

そしてグローバルビジネスのために会社を動かそうと上海にも会社を作った矢先、尖閣諸島問題で中国ビジネスがシュリンク。それでもいくつかのビジネスは進んでいて、日本の良いところを紹介する上海のサイトプロデュースで実績も出来てたし、日本国内のグローバルビジネス人脈も増えていった。

Let’s global business!! 世の中やっぱグローバルっしょ。

えっ、中野ですか?

 

そんなとき、当時中野新橋にある東京コンテンツインキュベーションセンター(TCIC)でインキュベーションマネージャだった今泉さんから連絡があって「一度、中野の面倒も見てみてよ!」と言われたんだ。そのTCICには楽しそうなITベンチャーがいっぱいいて、彼らの営業代行をお願いしたいと。そしてもうすぐ中野区の指導でIT関連団体(後のナカノプラプラ)ができるから、その説明会にも参加してみたら?と。その言葉を聞いたときに「面白いかも、中野も。グローバルとドローカル、どっちもできたらカッコイイかも…」なんてね。リアル店舗とネットスーパーどちらも活性化するコンサルや、渋谷音楽祭などの地域活性化事業にも関わってたし。

今思えば、その言葉を聞いたときのワクワク感がターニングポイントだった。中野は住む街であって仕事の街とは正直思ってなかったけど、見ちゃったんですね、中野を。始めちゃったんです、中野の杉山を。そしてこれからとんでもない貧乏生活が待っていることとも知らずに。。。

新しい中野が生まれつつある

 

中野にはIT業者やコンテンツ制作業者など700社もあり、このジャンルの活性化も推進する、JR中野駅北口に東西の橋をかける、中野警察大学校跡地を再開発するなど、これから中野が変わる。となると誰かがこのことをアーカイブしなければ!「あっ、オレやりたい…」ってすぐに思った。たくさんのウェブシステムやネットショップはプロデュースしたけど、自分が情報の発信者になることに飢えていたんだな、きっと。

四季の都市

「ナカ経」誕生の裏側には・・・

 

色々検討したけど、シブ経に憧れていたボクは結局「みん経」に相談。運良く中野には経済新聞がなかったんで、すぐに立ち上がると思った。あわよくば「中野杉並経済新聞にしちゃいたい」と思ったが受け入れてもらえなかった。それはなぜか。。。

実は中野区は新宿経済新聞、杉並区は吉祥寺経済新聞のエリアに含まれることが判明。さらに、両経済新聞は高円寺にある出版社が運営していて、杉並は即却下。しかも中野区を切り離したら両経済新聞運営企業が抑えていたオレンジライン中央線をブッタ切るってことだよね。。。

無題

中野区を新宿経済新聞から独立させられるかを「みん経」西代表に託し、独自の中野情報メディアを立ちあげることも視野に入れて準備を進めていたが、結局西代表が上手に交渉を行ってくれて、何とか中野区の独立は叶った。

「ナカノ経済新聞の誕生だ。そしてボクはメディアになる!」

ってことで、中野経済新聞の発刊が決まった。仮名で「ナカノ」としたかったが、みん経西代表に却下された。そして「ナカノプラプラ」でやるつもりだったがそれも西代表によって却下となり、結局自分の会社である桔梗ICTパートナーズで運営することに。そして編集長としての天国地獄の生活が始まった。。。

※次回、続きをお楽しみに!

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