中野と文学(中野三丁目)

■お洒落なレンガ坂から中野三丁目へ

中野駅南口の改札を出て、中野通りの信号を渡るとすぐの所に
間口2メートルくらいでしょうか、レンガでできた坂道の入口があります。

その名も「レンガ坂」
最近、門のモニュメントができたり、素敵なお店が増えたりと、新しい顔に変貌を遂げる注目の場所です。

木村博史使用

 

このレンガ坂の周辺が中野三丁目という地名になります。

今でこそ中野三丁目という事務的!?(失礼!)な地名ですが、昔は「中野桃園町」と呼ばれていました。
「桃園町」の名称は昭和41年に現在の中野三丁目になって無くなってしまったわけですが、桃園川緑道や桃園地域センターなど、今も「桃園」の名前が各所に残っていて皆さんも馴染みがあるのではないでしょうか。

■小説家丸谷才一も愛した中野三丁目

 

ここで本題に入りますが、この中野桃園町、ある本の中にでてきます。

小説家の丸谷才一が1980年に刊行したエッセイ集の『低空飛行』(新潮文庫)。
この中に「中野桃園町」という作品が収められています。

木村博史使用

 

この冒頭を紹介しますと、

「今は中野区中野三丁目だらうか。味気ない地名になつたけれど、以前は中野区桃園町であつた。わたしは英文科の学生のころから結婚するときまで、かなり長いあひだこの桃園町に下宿してゐたのである。もつとも、桃の林なんかない、ただ家並がつづいてゐるだけの、ごくありふれた東京の町である」

と、褒められているのかけなされているのかよくわからない出だしからはじまります。

桃園町の由来は徳川将軍吉宗の時代に桃林があったことに由来するそうですが、確かに今の中野三丁目には桃の林なんてありません。

ただ、丸谷才一も書いているのですが、さりげなくのんびりと落ち着きのある町並みが続いていて、休日の昼下がりなんかにゆっくり散歩するには格好のコースです。

実は筆者も中野三丁目に住んで10年以上。
住んでみると、この”さりげなくのんびり”の気風に馴染んでしまい、もはやこの地を離れることができなくなってしまったくらい気に入っています。

桃の林は無くなっても、桃の花や実の色のような癒しが残るこの場所はまぎれもない「桃園」なのかもしれません。

町内のご老人から「桃園町」の地名を復活させたい、なんて話も幾度となく聞きますが、それもこのような気風を感じるからでしょう。

中野区中野三丁目。
ぜひ、皆さんもそんな想いを馳せて歩いてみてはいかがでしょうか。