取材の相棒誕生秘話

どうもです。中野経済新聞編集長の杉山です。前回の投稿の最後「そして編集長としての天国地獄の生活が始まった。。。」の続編です。

自宅は西新宿と言ってた時代

 

中野区に10年以上も住んでいるのに、ほぼ寝るだけだった。自宅は東中野にあるのに「どこに住んでるの?」と聞かれたらいつも「西新宿!」と言ってたなぁ。実際歩いて2分もすれば新宿区だったし。新宿との区境のサクラを見るくらいだったかも。

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編集長を始めなければきっと「中野愛」は芽生えてなかったよ。

狭いの?広いの?

 

記事を書き溜めるために、色んな道を歩いた中野。「中野を知る」ことを兼ねたジョギングで、新宿との区界にある神田川から桃園川の遊歩道(桃園川緑道というらしい)に入り、ひたすら杉並区方面へ突き進む。途中遊歩道が渡れないところがあったけど、そのまま遊歩道をまっすぐ行くと、小さい鉄のアーチと共に道の作りがガラッと変わってすかさずスマホ地図で場所を確認、杉並区だ。思わずfacebookで「中野区を横断したぞ~」と投稿し、汗を拭きながらスポーツドリンクを飲んで座っていたら、ある中野区議からコメントが。

「そこ2キロくらいだよ…」

「ええぇぇ、そーなの?狭っ!あんなに走ったのに、気のせいだったのか…」

わかったよ。中野区の南側は細長いんだね。だったらダイエットついでに今度は北上してみよう!ってことで、ある日、神田川沿いを北へ北へ。小瀧橋を過ぎ、西武新宿線下落合駅近くで、明らかに東にカーブし始めたので、またスマホ地図で確認してみたら、すでに新宿区。軌道修正して新目白通りを走り(ほぼ歩いてたけど)、新青梅街道に入るとなんだか広い公園が出てきたんだ。哲学堂弓道場って書いてある。。。

無題

知ってます、哲学堂。コータローの友達「○○ちゃん」ちの近くの。こないだ仲良し4人組で一緒に遊んだところだ。その頃の哲学堂の知識、そんなもんだった。。。

そしてひたすら新青梅街道を西へ。たしか鷺宮が中野区の端っこだったよなと、目的地を安易に鷺宮にセット。行ったことのない鷺宮、陸橋らしき大きな通りが見えてきた。「鷺宮か?」いいえ、野方駅近くの環七(丸山陸橋)だった。

はい、なめてました。中野区って結構広いじゃん!

心が折れ、その場所近くのバス停から中野行きのバスに乗り、中野駅からは電車で帰ったボク。取材で東中野から中野区全部を歩いて回るのは無理だわ、ってその時思ったんだ。そしてその日はパソコンで中野区全域の地図と何時間もにらめっこ。中野区のこと、あまりにも知らなさすぎた。。。

そして相棒誕生!

 

地図を見ると何だか縦長な中野区。電車は東西に何本か(3本?4本?5本?)と区境を通っている地下鉄大江戸線。横移動は電車縦移動はバスが便利だけど、縦横無尽となると。。。

ってことで、移動手段はもっぱらチャリに決定。子どもを送り迎えする役目を課せられた時に出動する電動ママチャリ以外に、ギヤのない激安折りたたみ自転車を購入。スーツ姿で乗ると違和感のあるママチャリちゃんと、クールで都会派だけど坂道ではボクと一緒に歩折りたたみ君がボクの相棒となった。

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2010年の7月1日に中野駅北口に完成した東西連絡路のくす玉割り記事から、毎日相棒と共に暑くても寒くても雨が降っても、中野区を縦横無尽に取材しながら3カ月分の記事を書き溜め、無事10月7日に創刊した「中野経済新聞」。この日からボクの生活は、情報収集と取材、記事作成に追われる日々になったんだ。

なんせ一人でやってるもので。。。

いよいよ毎日が取材の日々に突入!続きはまた今度。